経験談① 父親からの虐待編
虐待の連鎖を断ち切れた理由も
日常的に暴力のある家だった
いつも母が殴られていた
小学2年生
ある日、母が殴られていたとき
今日は本当に母が死んでしまうと思い私も参戦
その日から私も殴られるようになった
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友達の家に遊びに行った時
友達がそのお父さんに悪態をついていた
普通に、笑いながら
違和感があった
でも何の違和感かわからなかった
小学生だったから
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中学生になって
父親うざいよねってみんなで話してた時に気づいた
その場に
殴られている子が一人もいなかった
本当に衝撃だった
みんな、殴られないの?って思ったその時の気持ち
夏休み前、放課後の教室
蒸し暑いけど気持ちいい風が吹いていた空気感
長袖を着ている私
鮮明に覚えている
今痣があって長袖を着ている私は何なのか
虐待という言葉を知らなかった
当時虐待って言葉はあまり聞かなくて
法律もあったかなかったかくらい
言語化もできなかった
違和感を持ちながら数日に1回殴られる日々
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高校に入学した頃
テレビで児童虐待のニュースが流れるようになった
これって・・・と思った
でも情報が少なかったし
相談できる人もいなかった
児童相談所みたいなところに連絡したこともある
返ってきた言葉は
「お父さんに言ってあげようか」
すぐ切った
この頃もまだ言語化できてなかった
でも少しずつ知識が増えて
違和感が大きくなっていった
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父がお酒を飲むと人が変わった
母は病気だった
小学生の頃から入院を繰り返してた
昔は珍しかったフリーランスだったし
いつも忙しそうだった
どんどん痩せていった
髪も抜けていった
母がいる時に殴られたら
必ず守ってくれた
痩せていく小さな体で
必ず
でも
中学2〜3年頃からは
もう多分私よりも弱い母が殴られるのが、見ていられなかった
母がさらに弱っていくのが見ていられなかった
だから
母がいない時に殴られたことは
言わなかった
一度も
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よりどころになるはずの人
幼い時は
助けて、痛いよ、何でいないの?
ってすがりたいのにすがれなかった
でも途中からは
自分が母を守ろうとしていた
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高校に入学して
長袖で過ごす夏が過ぎ
秋になった頃
母に「一人暮らしする?」と打診された
その頃母は入退院を繰り返していて、病院にいることの方が多くなっていた
私は父親と二人になることが多かった
「うん」って返事した
余命がわずかだったみたい
今思い返すと、複雑な顔をしてた
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高校1年で家を出た
やっと自由になれると思った
2〜3ヶ月後バイト中に
友達から連絡が来た
親戚がどうやって調べたのか
私の友達の連絡先を突き止めて
友達経由で知らせてきた
母が死んだ
膝から崩れた
今まで黙っていたこと
一人で抱えてきたこと
言えなかったこと
全部フラッシュバックした
バイト先の人が家まで送ってくれた
家に帰った
父がいた
あの時の記憶は断片的で
父のことは覚えていない
脳が遮断したんだと思う
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あの頃の自分が今の私に影響していることがある
人に頼れない
全部一人で抱える癖がついてる
痛みに異様に強い
注射を痛いと思ったことがない
やけどしても気づかない
殴られることが日常だったから
脳が痛みをシャットアウトすることを覚えた
慢性的な痛みにさらされ続けて
痛覚処理が変化したんだと思う
体の痛みから心を守るために
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今思うと
父も母が亡くなることを受け入れられなくて
酒乱になってしまったのかもしれない
そう思えるようになったのは
ずっと後のことだけど
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お母さん
辛かったよね
あの頃私はあなたに対しても素直になり切れなかった
あなたを心配させたくなかったから
殴られたことを隠すために
わざと距離を置いてた
本当はずっとそばにいたかった
余命わずかだとわかってたのに
死ぬ間際に私を逃がしてくれた
虐待されても子供を愛することができたのは
あなたのおかげだと思ってる
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虐待の連鎖を止めるには
過去に向き合って
一つでも親から愛された記憶を辿るしかないのかもしれない
私の場合はあなたの記憶だった

