経験談⑧母の記憶
経験談⑦書いたあたりから泣き虫になった気がする
幼少期の記憶
日常的な父からの暴力の記憶だけじゃなくて、優しい記憶も残ってる
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私は重度の小児喘息で、体が弱かった
3歳くらいから、年に2、3回入院していた
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消灯後の薄暗くて優しい光の中
カーテン越しに、相部屋の子たちの泣き声が聞こえる
私と同じようなゼーゼーした呼吸の音
ネプライザーのモーター音
病院独特のにおい
点滴につながれて
ネプライザーを口元に当てられて
クループ咳が出て
呼吸が苦しい
もう寝なさい
しゃべったら苦しいでしょ?
って言われても
母と2人でいる時間がうれしすぎて
苦しくても、おしゃべりをやめられない
とぎれとぎれ
咳き込みながら
お母さんは私がしゃべり疲れて寝るまでそばにいてくれた
小声で相槌をうちながら
私の話を聞いてくれた
うれしい
お母さんと2人
私だけを見てくれてる
ちゃんと笑ってくれてる
呼吸が苦しくて
ほとんど何をしゃべってるかわからないような状態
それでも
頭をなでながら
ずっと聞いてくれた
苦しいけど
もっと話したい
もっと聞いてほしい
お母さんの笑顔を見てたい
偉いね
がんばったねって褒めてくれる
学校のこと
流行ってるもののこと
普通の小学生みたいな話
詳しくは覚えてないけど
確かそんな、普通の小学生がお母さんに言うようなくだらない話をしていた
父親のいない場所
お母さんも緊張してない
私も怖がらなくていい
心の底から甘えることができた
唯一の時間
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発作が始まると
入院を楽しみにしている自分がいた
殴られない
お母さんが私だけを見てくれる
甘えられる時間
当時の私が心から甘えることのできた記憶は
病院のベッドの上だけだった
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入院してたせいで
遠足に行けなかったこともある
文化祭も行けなかったこともある
でもそんな事よりも、母とのなんでもない時間が欲しかった
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私の母は、美容系の仕事をしていた
結婚前は海外を飛び回ってたらしい
家に大量の着物があった
ヘアメイクもしてた
家に来る人に、先生って呼ばれてた
運動会に宅配ピザ頼んだり、
誕生日会するのが流行ってて、みんながホームパーティーしてるとこ、カラオケ貸切ったり
当時からしたらかなり破天荒なところがあった
日中はみんなが母のところに集まってきて、すごく社交的
夜は定期的に殴られることに耐えていた
そして死ぬ間際に、私を逃がすことで守り切ってくれた
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誘惑だらけの夜の世界
危険な瞬間は何度もあった
でも、絶対に一線は越えなかった
子どもを愛せてるのも
今、こんなに楽しめているのも
父の日常的な暴力だけでなく、母とのこの記憶があるから


今はみんなに形作られだしてる!
弁慶さんももちろん、「みんな」!!!
私も喘息もちでその時の記憶は
いっぱいあります。
私の母も47ぐらいでなくなったので自分の記憶の中にある
母がしてくれて嬉しかった事を
子育て中に思いだしたり
重なったりしてました。